ぶりぐ

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鎮める為に

今年に入ってこのブログに写真カテゴリを追加して、しかし特にこれといったコンセプトもなくバシャバシャ撮り続けてる。相変わらずカメラの性質も理解しないままなので飛躍的な進歩もない。

くるりの1st"さよならストレンジャー"のブックレットを見て思った。
普通の日常を切り取った写真の方が、特別なシチュエーションで生まれる奇跡の1枚よりずっと魅力的だなと。そちらの方が想像が膨らむ。見てて楽しい。撮りたいものがハッキリしたので、これからは益々写真というものが楽しくなりそうだ。これまでの写真は記録に過ぎず、僕の内面を全く含んでなかったけれど、これからは違う。何処かしらアート性を持った(内的な)ものを撮っていければと思う。そういうものでないと、僕は自分を鎮めることが出来ない。また、写真に限らずあれこれ創り出していきたい欲が沸々としておるので、そちらも期待していただきたい。って、何するんだろね?京橋を流れる川京橋の"凍頂山"は、全部の料理が美味しかった。
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コメント

何でもそうやけど、自分からつくり出すものってのは自分なわけやん?
出したものはものは全部自分に跳ね返ってくるし、自分というものを見せれる。
何かをつくり出したいって思うことは自分の中でつくり出すエネルギーが溜まってきたんだと思う。
なんでもエネルギーがないと生み出す事はできへんと思う。
これまでの写真が内面を含んでなかったと書いてるけど、足を止めていろんな風景を切り取るってことは、少なからず自分の感性が動いたからだろうし、記録というものは記憶を呼び起こすものであると思うので、うちはいいんではないかと思うんです。

何するんだろう?
好きな事したらええねん。一番自分が気持ちよくなるもの。
上のコメント誤字失礼。
寝不足太郎だ。プー
>まるちゃん
どの辺が誤字?気にせんでエエのに。律儀やねぇ。
確かに撮りたいと思って撮ってんねんけどね。中平卓馬という写真家は「写真は創造ではなく、記憶でもなく、ドキュメントである」と言ってる。そこにある現実をいかにそのまま切り取るか。それはたぶん僕が常々求めている、飾らないもの、地味で普通な日常こそ何より素晴らしいという考え方やと思う。まるちゃんの言う通り、写真って自ずと本人の目線が入ってるもんやもんね。この日記で書いた話はちょっとズレてたなぁと今は思う。妙に自分を出そうという考えは一番芸術から遠いし、嫌いなくせにね。頭働かす前に自ずと生まれるもんを大事にしていきますわ。

日々色んな体験をして色んな気持ちが生まれてるからエネルギーも溜まりまくってるんやろね。そろそろ社会に還元せねば(笑)。

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